2018年9月21日 卓話:西中 元会員

「銀行と不動産」

・住友銀行11年間(生野、守口、千林3カ店)
・生野支店 
  定期預金1年、窓口3カ月の間、3回出納事故をおこし外回りに配属された。中央卸売東部市場(東住吉  区)仲買人20社サブリーダーとして2年間担当。初荷(1月4月)で20社より祝酒を飲まされ、その後集金。  ふらふらになった。
・守口支店
  外回り旭区担当 千林商店街400軒取引獲得に活力する。住友クレジット加盟店新規申し込み、入会金3 万を0にし、2ヵ月間で100件獲得に成功する。1件300万円無担保「保証協会保証」融資で100件、合計  3億融資に成功する。
・千林支店 
  昭和45年4月新規開店する。1年間預金獲得目標10億(定期5億、流動性預金5億)とし、貸金も10億と する。昭和45年、46年、47年度3年間上記目標達成する。昭和47年秋、都市銀行セミナー各銀行2人25、計50人、住友銀行代表(関西地区代表)として参加する。1週間50人と話し合い、いい勉強になった。48年4月から40日間、中・小懇セミナー、住友銀行全国から50人で研修した。企業(メーカー)に行き、将来性・業・労働組合・人事の選定等、聞き取り調査した。最後の発表をし、まとめた。帰りの新幹線の中で、なっても支長、それより「お山の大将」になりたいと思い、昭和48年7月依願退職する。
・昭和48年7月~49年12月不動産会社で勉強し取引主任者資格をとり昭和50年1月資本金300万円で 独立した。
・昭和50年1月~57年、7年間、仲介1本で業績をのばした。
・昭和57年、K建設社長に、いつまでも仲介では「財をなさん」と言われ、賃貸マンション経営にのりだしまし た。年間家賃収入1億円を目標に、土地を買い、建物をたて、銀行に借金し、昭和62年に家賃収入1億円を 達成した。しかし昭和62年1月に「総量規制」が橋本大蔵大臣(当時)より発表された。不動産はすごいスピードで値下がりした。三菱銀行10億円、住友銀行10億、野村ファイナンス10億、計30億になっていた (借入)。三菱銀行10億、担保物件5億売却したが、5億と利息他、計6億無担保債権が残ったが債権放棄 してくれた。
・住友銀行10億 担保物件6億で売却し、4億無担保債権がでた。債権譲渡した。請求はこない。安心してほ しいと言われた。
・野村ファイナンス10億 10億がリーマンブラザーズに債権譲渡され「ハゲタカ」リーマンと対法した。 担保物件4億売り、6億無担保債権が残った。「1億でどうや」と、言われたが断り、1年間隠し財産があると 思われ苦労した。1年後「1億を6千万円でどうだ」と、言われたが、即座に3千万円なら払うといい、30分後リーマから承諾された。
以上でバブルは終了した。(平成10年 8年かかった)平成12年より収益マンションを買いだした。 現在、12棟210室所有している。
・賃貸業者を大事にする。手数料3カ月分(18万位)渡す。小使い5千円。
・賃貸保証会社2社(日本セーフティ・全保連)を利用することにより家賃滞納はなくなった。
・空室率3~4%で推移している。
(まとめ)
・キャッシュフローを主にした経営を行う
・B/S(貸借対照表)・P/L(損益計算書)では利益はでているが、金繰りうまい事いかず。倒産(黒字倒産)→ 2代目おおい→経営があまい、数字に弱い
・銀行は本当に金がいる時は貸さない
・金もうけは本職でやる
・遊ぶのはいいが遊び人にはなってはいけない
・時間をきめて遊ぶ
・2代目に身内(息子・娘)に任せるのはいいが、まかせっきりはダメである
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# by osakajotorc | 2018-09-28 15:20 | 卓話