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2019年1月18日 職業奉仕月間卓話 担当:職業奉仕委員会 細井 敦子委員長

「職業奉仕月間に因んで」
RI2660 地区職業奉仕委員会 委員長 入谷 治夫様(高槻RC)


職業奉仕とは何か?それはロータリーの精神、哲学は何か?という問いである。ロータリー運動は倫理運動です。ロータリーのロータリーたる所以は職業奉仕の実践です。ロータリーにおける倫理は、1945年に制定された「道徳律」や「ロータリーの目的」の第二項に示されています。では「倫理とは」何か?それは「人が正しく歩む道」です。①嘘をつかない②人を泣かすようなことをしてはいけない③人を欺いてはいけない④非社会的、非道徳的行為をしてはいけない⑤不祥事を起こさない というのが倫理の教えであります。職業奉仕と社会奉仕との違いは?職業奉仕は自分の職業を通じて奉仕することですが、いまいちよくわかりません。受益者が自分以外の人の場合が社会奉仕、自分の場合は職業奉仕と考えたら解りやすいでしょう。職業奉仕の理念についてですが、「職業を営むとは」収益を得て、企業を継続維持することです。「奉仕するとは」世のため人のために尽くすことです。この正反対の言葉が存在するが、ロータリーは「職業を営むことが世のため人のための奉仕になる」と言っています。ここが職業奉仕の一番難解な点ですがこの点が解らなくてはなりません。それをどのように説明するかですが、職業を営む心も奉仕の心も「ひとつの心」として考えなさいということです。即ち「世のため人のために奉仕をする心をもって職業を営むべし」ということです。そしてこの言葉の意味は先ほど説明しました自分の職業に対して強く「倫理性」を要求しているのであります。「He Profits Most Who Serves Best」これはアーサーシェルドンの言葉でロータリーの標語です。「最もよく奉仕するものには、最も多くの利益がある」です。即ち、奉仕活動をすればするほど地域の人々から自分の職業にたいして尊敬と信頼、信用をより多く得て自分の職業がさらに繁栄するということを言っています。ロータリーにおける2つモットーについてですが①ロータリーは倫理運動を通じて世のため人のために奉仕する。という考えと②人道的活動を中心とする人の金銭的、物質的援助活動が必要である。という二つの考えがあります。この異なった意見を調和するため「決議23-34」が生まれ奉仕哲学としてService Above Self「超我の奉仕」と実践理論の原理である「He Profit Most Who Serves Best」が明記されました。次にRIにおける職業奉仕の変遷ですが、1915 サンフランシスコ国際大会で全分野の職業人対象に道徳律が採択され、我々は事業や経済活動の中で同僚に対して高いIdeal of serviceを与えることができないかと提唱された。1915~23奉仕理論提唱派と奉仕実践派の対立。1920~30ロータリーの職業奉仕が社会に大きな影響を及ぼした最盛期。1923セントルイス国際大会で「決議23-34」が採択されThe ideal of serviceの明文化と二つの標語を同様に採択。1927ベルギーオステンド世界大会で職業奉仕「Vocational Service」が初めて採択。1931ロータリーの倫理訓である道徳律の配布禁止令が出された。1948 RIの職業奉仕委員会が廃止される。1951道徳律そのものも廃止され、以来1987年まで40年間ブランク状態となる。このような経過のあと1989 規定審議会は「ロータリアンの職業宣言」を採択しその内容は、誇大広告の禁止、同僚ロータリアンへの便宜供与の禁止、青少年や地域社会に対する技術提供です。2011 RI理事会において、「ロータリーの職業宣言」は「ロータリアンの行動規範」として受け継がれる。ハーバードテイラーは1932年に倒産寸前の会社の再建する際、社員の育成の指針として「四つのテスト」を考案、実践し、国際ロータリーはこれを職業奉仕にふさわしい短い倫理訓として認めています。2016 RI規定審議会で奉仕の第二部門を改正する件が採択され「そして自己の職業上の手腕を社会の問題やニーズに役立てるために、クラブが開発したプロジェクトに答えることが含まれる。」という文面が追加記載されました。以下もう少し話は続きますが紙面の関係で省略させていただきます。拙い職業奉仕卓話をお聞きいただき有り難うございました。

by osakajotorc | 2019-01-30 16:06 | 卓話

2019年1月18日 会長 家原 泰雄

皆さん、こんにちは。地区職業奉仕委員長入谷治夫様、本日の卓話宜しくお願い致します。
今月は、職業月間にちなんで例会終了後、職場見学会があり、見学先がアサヒビール吹田工場です。2016年に「最強の経営者・アサヒビールを再生させた男」が発行されましたが、昨年の6月これに改題された文庫本が発行されたので、早速読んでみました。偶然にも今日の見学先になったので大変喜んでいます。簡単に紹介しますと、1980年代頃、アサヒビールの国内シェアが10%以下になり、折りから焼酎ブームもあり沈滞した組織になっていたころ、住友銀行副頭取の樋口廣太郎がアサヒビールの社長になり、苦境だった経営を立て直したという実話です。当時、あまり美味しくないアサヒビールが夕日ビールと言われたころアサヒドライを1987年に発売し、古いビールを販売店から全部回収しました。住友銀行支店長会議の退任挨拶の場面で「私が死んだと思って香典の代わりに古いビールを買ってもらい香典返しのビールとして下さい」と言ったのも有名な話です。翌年、広告宣伝費を前年の2倍にし、ドライは爆発的に売れ国内で品切れ状態になったので社員に「ドライを飲むな」と厳命したことも事実です。また、キリン、サッポロがドライビールのラベル、デザインなどの表現があまりにスーパードライに似ているという事で社長名で抗議書を送るなど、世間を騒がせるドライ戦争が始まりました。そして、発売3年目に年間1憶ケースを売り、国内シェアも12%以上に達し、うなぎ登りに成長しました。樋口社長が会長になったとき歴代住友銀行出身者が社長だったのをアサヒビール出身者に変更したのも樋口廣太郎の飛躍の礎になっていると思います。そして、数年がたった今年はアサヒビールとキリンビールの激しい攻防が繰り広げられると言われています。

by osakajotorc | 2019-01-30 16:04 | 会長インフォメーション

2019年1月11日  年男年女新春抱負を語る

☆辻谷 弘会員

7回目の亥年を迎えることになりますが、7回目ともなりますと特に感慨深いものがあるわけではありません。只、多少健康上問題があっても、無事に今日を迎えられたことには感謝しています。亥年といえば世間的には猪突猛進、前向きに進むという勇ましいことですが、個々の人間にとっては性格や個性も違い余り当てになりません。私自身の事を考えても真逆の性格で、どちらかといえば石橋を叩いて渡る方ですが、石橋を叩きすぎて失敗したこともありますので何とも云えません。さて、人生100年時代といわれている今日は、残された人生をどう生きていくかという問題です。私なりにはこうありたいと願っていることは
①「健康ではつらつとして動ける」例えば旅行、車の運転、身の回りの雑事等。
②「社会的なネットワークを常に持つ」例えば会社、いろいろな団体、福祉活動、友人などとの関わり等。
これからの事がどこまで、いつまでできるか分かりませんが、迷惑をかけないよう「ピンピンコロリ型人生」を目指していきたいと思います。

☆杉野 政史会員

新年明けましておめでとうございます。
本年も、しっかり努力、精進してまいりますので、ご支援・ご指導よろしくお願い申し上げます。本年、正月を明け、5月に今年の年男、満で60歳となります。ロータリー歴16年目となります。そして、会社創業は32年、法人設立28期を迎えます。改めて人生も経営も修行であると通観しております。今、「大企業のボーナスは平均90万円超え」で、昨年を超えて過去最高額と言いますし、政府も「いざなぎ超え」とか「ゆるやかな回復基調にある」とか、繰り返し報道等がなされています。しかしそんな実感はありません。中小企業を取り巻く環境は、悲観的ないわゆる話題が多くあるわけです。そうした、良くも悪くも「流言飛語(りゅうげんひご)」に迷わされている様では、それは精神の鍛錬ができていない証拠だとも感じます。私は、人生も経営も修業である。この様にしっかりと腹に据えて更に学んで、成長したい1年にしたいと思います。
今年の干支は猪です。「猪突猛進」・目標に対して、向こう見ずに突き進むこと。・目標物に対してがむしゃらに進むこと。
大きな目標3つを立てました。1つ目は仕事です。当社は主な販売商品として、電力インフラ、橋梁インフラのメンテナンス(塗装塗替工事)を行ってる会社です。大変地味で、過酷な作業環境での、鉄鋼構造物を錆びから守り、保守を行うことを生業としております。
2つ目は私自身のことです。「いつまでも若く輝いて生きる」です。60歳は人生のど真ん中、これからが黄金時代の到来と老けてなどいられません。
3つ目は家族のことです。10歳となりました愛娘の真剣な教育を18歳までと定めております。夫婦の共通価値観として、子育て、時代ど真ん中を実践します。

☆柳瀨 寛之会員

3月で還暦を迎えます。昭和34年生まれは特別でして、何かと申しますと「昭和で30年、平成で30年生きてきた」という人たちです。私の昭和は、社会人になるまでは本当に何も考えない「クソガキ」でありました。平成元年に脱サラで独立開業したときから、さすがに色々考えて行動し、苦労もしましたが、これも今後更に続くのはいうまでもなく、仕事人生においては「昇天定年」が理想と考えております。今年は私の会社も創業設立満30年となります。実は照明器具メーカーで6年働いている長男が、「そろそろ転勤やし、それより親父の役に立ちたい」と申しまして、「大阪で一緒に働くのは嫌やで、東京営業所開設してくれ」と言いまして今年の4月からその運びとなる予定です。偶然ですが、私が会社を始めたのも、息子が東京で営業所開設するのも29歳です。まだまだ若輩ですが自分も通ってきた道です。何とかなると思っています。さて、ロータリーですが、入会11年になります。入会後暫くして、今日のように「年男・年女抱負を語る」があり、妙齢の女性が抱負を語っておられました。「グラマーな美人やなあ、昔モテたやろうなあ。この人もいずれ会長さんになりはるんやろなあ」とぼんやり思いました。時がたち、まさかその方が会長になられる年度の幹事をお引き受けすることになるとは夢にも思いませんでした。でも大変光栄なことと思い、頑張るつもりです。皆様、7月以降どうか宜しくお願い申し上げます。11年間の経験や思い出を生かしてまいります。

by osakajotorc | 2019-01-23 15:44 | 卓話

2019年1月11日 会長 家原 泰雄

新年明けましておめでとうございます。
平成最後の年、皆様の初春はいかがでしたでしょうか。
厳かにすがすがしく迎えた元日、早くも11日過ぎましたが、まだ正月気分が抜けきれず、めでたいと思い何となく新鮮な気分になり神仏に掌を合わせ1年の計りごとをする発心の日でもありました。年々正月らしさが感じられなくなってきた、と感じるのは私だけでしょうか。
お雑煮は作っても華やかなおせち料理は作らなくなっていることもその一因かもしれません。二日からスーパーマーケットを覗いてみると春の七草が売られていました。七草を使う「七草粥」は1月7日に行われます。そして今日11日からは「鏡開き」です。正月に供えた鏡餅を木槌で割って汁粉やぜんざいにしていただく行事です。四季の恵みをいただきながら年中行事をみていくと今年も月日の流れが早く感じられそうですね。  

by osakajotorc | 2019-01-23 15:40 | 会長インフォメーション

2018年12月21日 卓話:辻谷 弘会員

「ロータリー在籍、四十年余年をふりかえって」


上記のような演題ですが、私の入会時のイニシエーションスピーチを聞かれた会員が全ておやめになっているので、前半は自分の生い立ち、学生生活、仕事について、後半はロータリーについてお話ししたいと思います。
生い立ち 
 昭和10年4月(1935年)生まれの83歳、出生地は大阪市天王寺区眞法院町、生後2〜3年で西宮市夙川へ転居、家族は両親、4歳上の兄、祖母の5人家族で、父は当時銀行勤め。(現在の三菱UFJ信託銀行) 大東亜戦争が昭和16年12月(1941年)に始まる。昭和20年5月、空襲により爆弾で家が全壊、家族3人(母、兄、祖母)が亡くなる。その後岡山県津山付近へ約半年間、集団疎開で行く。昭和20年8月(1945年)終戦。終戦後は父と二人で住む家なく、知り合いを頼り各地を転々とする。
学生生活 
 集団疎開後、仮住居ではあるが、やっと落ち着いた家の前が帝塚山学院(大阪市住吉区)で、小学校5年の終り頃に編入し、そのまま中、高とすすみ、関西学院大学法学部を昭和34年(1959年)卒業。家業が忙しく就職する間もなく家業に入る。
仕事 
 昭和25年(1950年)父が銀行を中途退職(48〜49歳)、好きでやりたかった建設業を始める。私が大学生の頃は家業の手伝いが忙しく、アルバイトをした経験がなかった。その後父の銀行時代のお客様達に助けられ、紆余曲折を経ながらも、なんとか会社も軌道にのってきた。ところが、昭和38年(1963年)父は持病の心臓病の為61歳で他界。私は当時28歳、結婚後約2年で会社を引き継ぐことになった。その後は父の遺志を継ぎながら苦労の連続ではありました。その間、長男が他の建設会社を経て約20年前に入社し、私は2005年70歳で、会長職となった。2020年には会社も創立70年を迎えることになる。
ロータリーについては、入会時、会長時代、印象に残ったメンバーに絞って申し上げます。
入会は昭和51年3月(1975年)、当クラブ創立4年目に入会。ロータリークラブ入会のきっかけはJC(大阪青年会議所)に7年間在籍し、40歳で卒業と同時にJCの先輩の水間、桂両会員の紹介で、入会した。同時入会は吉田長三さん。会場はO.M.Mビル20階の「東天紅」で、メンバー数は41名。次に会長時代について、次年度会長予定者が突然断った為、いろいろいきさつがあって、私が指名されたが、時間がなくて人事には苦労した。只、この年度は平成6年〜7年(1994年〜1995年)は比較的、大きな行事もないし、何とかなると思い、腹をくくって引き受けることにした。ところが、社会的には①平成7年1月 阪神淡路大震災 ②平成7年3月 地下鉄サリン事件が起きた。ロータリーでは大震災の為、チャリティーコンサートや海のライラ等が中止。しかし、一方国際的な活動は活発に行われた。
1994年8月 ソウル南山R.C子弟交換2人(有山、松野会員の娘さん)を派遣、先方からも2人来阪。1995年4月 ソウル南山R.Cへ公式訪問 会員11名 夫人6名 17名参加 その際、ソウル南山R.Cから震災見舞金として50万円頂く。1995年5月 WCS事業で、香港ラサール小学校へ図書寄贈 会員、夫人あわせて18名参加 1995年6月 フランス ニース国際大会へ イタリア フランス訪問 会員10名 夫人10名 計20名参加 
その他地区行事のホスト役として「高齢者の声」作文集作成、大輪ゴルフ会(市内クラブの会長 幹事会)を行った。会長職の間に幹事の後谷会員が急死され、副幹事の北村譲会員に後任をお願いした。最後に印象に残ったメンバーはいろいろおられたが、3人にしぼると
①奥村良蔵氏 初代 2代目の会長 明治43年生(1911年)は絵にかいた様なジェントルマンで、大学の先輩。熱心なクリスチャンで、よく細かい事迄、注意し教えて頂いた。
②佐伯文太郎氏 昭和8年生(1933年) 昭和49年入会(1973年)阪大卒の外科医で、アフリカへ海外青年協力隊で医師として参加後にその体験談を著書にされた。R.C入会後10年、50歳で開業医をやめ、R.Cもやめられた。その後大阪音楽大学声楽学部へ入学し、声楽家として現在も活躍中。R.C在籍中は音楽好きのメンバーで同好会を作り、現在のライトハウスのチャリティーコンサートの生みの親である。
③甲田浩氏 昭和12年生(1937年) 昭和61年入会ご存知の方も沢山おられると思いますが、ホテルニューオータニ大阪が大阪に進出した時の初代の総支配人です。当初城東ロータリーが「東天紅」から「ニューオータニ」に移ることに反対された方も何人かおられましたが、当時の会長はじめ、賛成者が多く移ることができ、その時に甲田さんは当クラブに入会されました。その当時 東京の帝国、オークラ、ニューオータニの代表的な三人のホテルマンとして週刊誌に取り上げられたり、ニューオータニにとってはレジェンドだと思います。私の会長時代、国際奉仕の委員長をして頂き、活発に活動できたのは甲田さんのおかげと感謝しています。私の印象に残った方々の中から三人の方々をとりあげさせてもらいましたが、エピソードを交えてお話するつもりが、時間がなくて充分にお伝えする事が出来ずに残念でした。

by osakajotorc | 2019-01-16 15:16 | 卓話

2018年12月21日 会長 家原 泰雄

皆さん、こんにちは。先月ご紹介したクイーンの音楽ドキュメンタリー映画が国内であれだけヒットするとは思わず昔から知っているグループなのでお話ししましたが、まだ映画館でロングランしています。その月末同じドキュメンタリー映画でエリック・クラプトンを見に行きましたが、私個人的にはこちらの方が良かった気がします。その中で若かりし頃のビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴスター、クラプトンに奥さんをとられた親友のジョージ・ハリソン、往年のBBキング、イギリスに多大な寄付をしているエルトン・ジョン等、懐かしい映像がみられました。また、カリフォルニアの山火事でよくニュースに出ていたレディガガの映画も今日から公開です。そして本日公開のオペラ歌手マリアカラスの音楽ドキュメンタリー映画があります。彼女は20世紀最高のソプラノ歌手といわれ、没後40年たった今でも世界的に有名で、プロとしての信念と歌姫の真実の姿が描かれています。彼女の歌がよく知られているのがプッチーニのトスカ、蝶々夫人、ビゼーのカルメン等有名です。カルメンの歌詞は、‘あんたが愛してくれなかっても私は、大好きよ,’もし、あたしに惚れられたなら気を付けなよ,年が明けて4日からは48歳で亡くなったホイットニーヒューストンの映画も公開になります。興味があればぜひ映画館でご覧なって下さい。今年最後のインフォメーションおわります。
皆様どうぞよいお年をお迎えください。

by osakajotorc | 2019-01-16 15:12 | 会長インフォメーション