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2019年10月18日 卓話:藤田 幸一会員

「私に写真一筋人生の語り部に生きる心を教えて頂いた仲間・友人・先輩」


プロのフォトグラファーの心 大束元さん
元朝日新聞社出版写真部長で当時日本写真連盟理事であった大束元さんに大学卒業と同時に師事。当時写真を撮ることに迷いがありました。自分でテーマを決め半年から1年やってごらん、その間見てほしいと思えば来なさい。取り組んだのは信楽焼で滋賀県の無形文化財3世高橋楽斉の窯でした。出入りを許してもらい撮影しました。すこしはいい写真が取れたかなと思い張り切って見せました。これどうしてお金にするの、芸術を目指す人ではなく、あなたはプロのフォトグラファーですよ。素晴らしい写真を撮ってその代価をいただく仕事ですよ。あなたが家業の写真館を継ぐと云う事はあなたに写真を撮ってほしいと期待するお客様がたくさん待っているのですよ。その期待に全力で答えるのが仕事ですよ。プロと云う事の意味を始めて教えて頂いた方です

皇室の写真を撮る事に人生をささげた先輩 
田平嘉男さん
戦後昭和天皇陛下の研究(ヒドロ虫、変形虫などの研究、葉山御用邸付近の相模湾の浅瀬と沖合)小西六製のカメラを持たれていた。写し方を教えてほしいとの要請で当時小西六の社員だった田平さんに決まり、相模湾上の研究船にお伺いしたがその場で写真を撮るように殿下から云われ、それから以後報道で撮られる写真以外の皇室の写真を撮るようになった。プライベートな部分マスコミのカメラマンに関係のない撮影に携わり人生をささげられた。田平さんとの出会いは35年前程前、業界で一番権威のある写真研究会で出会いました。5年程たった時ふっと私はねー藤田さんの写真が好きでねーと云われ、びっくりやら感激で大変光栄でした。その時から親しくなりました。皇室の事写真の事一切話されませんでした。時たまふっと皇室一家の写真で私がシャッターを切る寸前に秋篠宮親王の小さな子供のころですが走り出すんだよ、やんちゃでかわいくてねー。皇室の写真を見せて頂いたのは研究会で宮内庁の許可をいただいて50枚ぐらい見せて頂いたのが最初で最後です。また私のスタジオへ1回見に行きたいと云われ忙しくて行けないんだよ、と云っておられました。退職して始めてこられました。長い間何も言わずに椅子に座ったままでおられました。私は涙が出そうで何とも言えない時間を共有したことを昨日のように思い出します。今現在写真を撮っている方も若い時に私のスタジオへ何回か来られたかたです。私はいつも田平さんの生き方を見習い写真館(お客様)に人生をささげようと努力しています。 

1980年のNHK朝の連続ドラマ「なっちゃんの写真館」のモデル 徳島の立木写真館 立木利治さん(1934~1993)とお母さん(1915~1986)
立木写真館は明治16年1883年創業 レンガの洋館、異人館でした。電話は県庁1番、市役所2番 立木写真館3番でした。
立木利治、次男義浩、三男三郎(二人は有名なコマーシャルカメラマン)のお母さん立木香都子(1915~1986)の半生をモデルに描かれたNHKの朝のドラマ「なっちゃんの写真館」は星野知子、滝田栄 林美智子 加藤武、石田純一等の出演で男性中心の社会に女性ながらカメラマンを志し徳島から上京後家業の写真館を継いだ夏子のさわやかな人生を描いた物語です。お母さんの時代は立木香都子先生に式を挙げる前に婚礼写真を写してもらう事がステータスになり立木写真館が地域の誇りにまでなりました。利治さんと知り合ってお母さんに4回ほどスタジオでお会いしました。すばらしい明るいオーラに包まれていました。撮影現場も何とも言えない雰囲気でお客様と一体化してお客様の幸せ感が漂っていました。そこから私はお客様の人生の語り部に生きるすばらしい人生を学びました。超有名写真館の4代目の利治さんとの接点は私が30代の初めごろ日本は成長期に入ろうとしていた時代で写真感材フイルム印画紙の成長期を迎え当時はプロの使用量が圧倒的でその状況にフジフイルムが全国の写真館の二世を組織化した時に関西の発起人に立木さんと私,他に2人がなったのが始まりで強いきずなが生まれた。会の呼称はPGCとなずけられました。大きな組織の満足と会員一人一人の満足の調和の在り方を教えて頂いた。それとどんな多忙であっても人生を楽しむ事を学びました。彼はジャズビブラフォンの名手で地元のクラブで毎晩演奏を楽しみ、大阪、東京でも演奏するクラブを巡っていました。この組織はデジタル時代になった今もプロの写真関係で大きな力と絆をもって続いています。知り合って20年ほどたった時つぶやいた言葉、私が徳島で講演したテープを問題が起こった時、悩んだ時何時も聞いてるよ、心が震えました。東京での研究会のとき時間が来ても来られないのでなんでと思っている時娘さんからの電話で亡くなりました、脳こうそくで頭が痛いと云ってから数時間後でした。59歳でした。希望のある時代をともに生きた先輩であり友人でした。私は何時も利冶さんの後を追っかけていたように思います。アメリカのプロ写真協会から日本で初めて立木さんの写真が招待作品とし選ばれ展示されました。翌年私の写真が招待されました。又利治さんと奥様の共作の日本の婚礼の椅子に座った打掛の花嫁写真が機関誌の表紙写真として掲載され大変話題になりました。又海外での活躍を推進する日本のプロ写真家の団体PPJの会長にその後私も会長になり利冶さんの意思をついで海外への発展に努力しました。

日本一お客さんの多い東京新宿伊勢丹百貨店の写真スタジオのオーナー 堀昭一さん
昭和8年新宿伊勢丹百貨店開業とともに昭一さんの父が請われて写真室を開業した。昭一さんは2代目で後輩に優しい紳士で優しいきれいな写真を撮られる方でした。又卓越したマーケティングの天才でした。団塊の世代が受験用、就職用の照明写真が必ず必要ですがフイルム時代は撮影後1週間の仕上がりが普通の時代に20分仕上がりを打ち出し大ヒットしましたデジタルになった今でも20分は難しいです。フイルム現像、乾燥、レタッチ、プリント焼き、仕上げ、これを見事にやってのけました。一日100人毎日押しかけました。年2万人以上のお客様が溢れていました。家族写真1000組、七五三、成人式、宮参り、お見合い写真、溢れかえっていました。お見合い写真はスタジオで撮るのが常識の時代に、新宿御苑で撮影する格調の高いロケーションお見合い写真開発、大ヒットしました。先輩に学んだことは、経験したこと、考えたこと、成功したこと等情報を出し惜しみせずに、発表したり、教えたりすること、それが何倍にも好意なって帰ってきて自分が成長できる事でした。この道一筋に生きるためにはどれほど沢山の人々の好意と力をお借りし努力を続けなければ出来ないことを 教わりました。
堀さんとの出会いは 立木さんと同じく写真館2世の会PGCで堀さんは関東ブロックの発起人でした。関東関西から全国に広がりブロック分けは沖縄 九州 中国 関西 東海 関東 東北 北海道 の8ブロックで1000人以上の団体になりその最初の全国議長1974~1976になられました。50歳までの若手の写真関係の団体ではダントツの勢力をもちました。それから同じ発起人として親交が深まりました。私は1981~1983年全国議長を務めました。全国各地の有力写真館と親交を深めお互い切磋琢磨し情報網が全国に広がり100年以上続く写真館をたくさん知りました。その後伊勢丹写真室の主任カメラマンを長きにわたり務められた女性が定年になりその記念に写真を写しに阪神の写真室に来られ私の写真が好きで何時も見ています。私の写真人生の終わりの写真は私に写してもらうと決めていたと話されました。写真一筋まず100年を目指そうと目標を立て87年を迎えあと13年94歳です。子供に託しました。

私の写真をみいだし写真と名前を全国に広めてくださった ジャーナリスト アトリエ104清水東士さん
私の若い時代20~30代の頃写真館はお客様がどんどん来られる時代で自分の技術がいかに高いか、自分の技術を競う時代でカメラマンが求める写真でした。そんな時代に私はお客様の求める写真を作ろうと悪戦苦闘していました。業界からはお客さんに迎合する写真だと大変批判を受けている時、清水さんだけが独自の目線で私の写真を気に入っていただき表紙はじめ色々長きにわたり事あるごとに取り上げ応援していただき全国多くの共鳴する写友がたくさんでき、賞を頂くことよりもお客様の人生に寄り添った写真で生きる喜びを提案することの大切さを教わりました。

急速に進むデジタル社会 写真館は何処に向かうのか
ネット社会で写真館に及ぼす影響を6年前からアメリカで調査を始めました。今は2~3年後にで日本に入ってきます。今、米国の写真館業界で起こっていることはカメラマンのマッチングサイトが急激に成長し、実店舗のいらない時代に突入。お客さんのライフスタイルに合ったカメラマンを選ぶ時代 低額 個人カメラマンの限界も見えます。特に西海岸はここ5~6年移民社会となり従来の写真館はほとんど無くなりました。東海岸は白人系社会で写真館も残っていましたがここにきて全米を対象とする大手のマッチングサイトが2社出現しライフスタイルに合った好みのカメラマンを予算に合わせ選べる時代に突入し東海岸も写真館が減ってきました。
自社の対策は店舗がある事の強みを生かし、世界のブランドのように実店舗は商品を高い文化的空間で見せる誰でもはいれるショウルームとし買い物はネットでする。これを参考に自社はお客様のライフスタイル別のカメラマンの写真を展示し,超高額から中流のアッパークラスまでの価格を設定し、店舗又はネットでの受注システムと高齢者対象に従来型のシステムを併用する事を考えています。
次世代に託します。

by osakajotorc | 2019-10-29 16:51 | 卓話

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