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2018年12月21日 卓話:辻谷 弘会員

「ロータリー在籍、四十年余年をふりかえって」


上記のような演題ですが、私の入会時のイニシエーションスピーチを聞かれた会員が全ておやめになっているので、前半は自分の生い立ち、学生生活、仕事について、後半はロータリーについてお話ししたいと思います。
生い立ち 
 昭和10年4月(1935年)生まれの83歳、出生地は大阪市天王寺区眞法院町、生後2〜3年で西宮市夙川へ転居、家族は両親、4歳上の兄、祖母の5人家族で、父は当時銀行勤め。(現在の三菱UFJ信託銀行) 大東亜戦争が昭和16年12月(1941年)に始まる。昭和20年5月、空襲により爆弾で家が全壊、家族3人(母、兄、祖母)が亡くなる。その後岡山県津山付近へ約半年間、集団疎開で行く。昭和20年8月(1945年)終戦。終戦後は父と二人で住む家なく、知り合いを頼り各地を転々とする。
学生生活 
 集団疎開後、仮住居ではあるが、やっと落ち着いた家の前が帝塚山学院(大阪市住吉区)で、小学校5年の終り頃に編入し、そのまま中、高とすすみ、関西学院大学法学部を昭和34年(1959年)卒業。家業が忙しく就職する間もなく家業に入る。
仕事 
 昭和25年(1950年)父が銀行を中途退職(48〜49歳)、好きでやりたかった建設業を始める。私が大学生の頃は家業の手伝いが忙しく、アルバイトをした経験がなかった。その後父の銀行時代のお客様達に助けられ、紆余曲折を経ながらも、なんとか会社も軌道にのってきた。ところが、昭和38年(1963年)父は持病の心臓病の為61歳で他界。私は当時28歳、結婚後約2年で会社を引き継ぐことになった。その後は父の遺志を継ぎながら苦労の連続ではありました。その間、長男が他の建設会社を経て約20年前に入社し、私は2005年70歳で、会長職となった。2020年には会社も創立70年を迎えることになる。
ロータリーについては、入会時、会長時代、印象に残ったメンバーに絞って申し上げます。
入会は昭和51年3月(1975年)、当クラブ創立4年目に入会。ロータリークラブ入会のきっかけはJC(大阪青年会議所)に7年間在籍し、40歳で卒業と同時にJCの先輩の水間、桂両会員の紹介で、入会した。同時入会は吉田長三さん。会場はO.M.Mビル20階の「東天紅」で、メンバー数は41名。次に会長時代について、次年度会長予定者が突然断った為、いろいろいきさつがあって、私が指名されたが、時間がなくて人事には苦労した。只、この年度は平成6年〜7年(1994年〜1995年)は比較的、大きな行事もないし、何とかなると思い、腹をくくって引き受けることにした。ところが、社会的には①平成7年1月 阪神淡路大震災 ②平成7年3月 地下鉄サリン事件が起きた。ロータリーでは大震災の為、チャリティーコンサートや海のライラ等が中止。しかし、一方国際的な活動は活発に行われた。
1994年8月 ソウル南山R.C子弟交換2人(有山、松野会員の娘さん)を派遣、先方からも2人来阪。1995年4月 ソウル南山R.Cへ公式訪問 会員11名 夫人6名 17名参加 その際、ソウル南山R.Cから震災見舞金として50万円頂く。1995年5月 WCS事業で、香港ラサール小学校へ図書寄贈 会員、夫人あわせて18名参加 1995年6月 フランス ニース国際大会へ イタリア フランス訪問 会員10名 夫人10名 計20名参加 
その他地区行事のホスト役として「高齢者の声」作文集作成、大輪ゴルフ会(市内クラブの会長 幹事会)を行った。会長職の間に幹事の後谷会員が急死され、副幹事の北村譲会員に後任をお願いした。最後に印象に残ったメンバーはいろいろおられたが、3人にしぼると
①奥村良蔵氏 初代 2代目の会長 明治43年生(1911年)は絵にかいた様なジェントルマンで、大学の先輩。熱心なクリスチャンで、よく細かい事迄、注意し教えて頂いた。
②佐伯文太郎氏 昭和8年生(1933年) 昭和49年入会(1973年)阪大卒の外科医で、アフリカへ海外青年協力隊で医師として参加後にその体験談を著書にされた。R.C入会後10年、50歳で開業医をやめ、R.Cもやめられた。その後大阪音楽大学声楽学部へ入学し、声楽家として現在も活躍中。R.C在籍中は音楽好きのメンバーで同好会を作り、現在のライトハウスのチャリティーコンサートの生みの親である。
③甲田浩氏 昭和12年生(1937年) 昭和61年入会ご存知の方も沢山おられると思いますが、ホテルニューオータニ大阪が大阪に進出した時の初代の総支配人です。当初城東ロータリーが「東天紅」から「ニューオータニ」に移ることに反対された方も何人かおられましたが、当時の会長はじめ、賛成者が多く移ることができ、その時に甲田さんは当クラブに入会されました。その当時 東京の帝国、オークラ、ニューオータニの代表的な三人のホテルマンとして週刊誌に取り上げられたり、ニューオータニにとってはレジェンドだと思います。私の会長時代、国際奉仕の委員長をして頂き、活発に活動できたのは甲田さんのおかげと感謝しています。私の印象に残った方々の中から三人の方々をとりあげさせてもらいましたが、エピソードを交えてお話するつもりが、時間がなくて充分にお伝えする事が出来ずに残念でした。

by osakajotorc | 2019-01-16 15:16 | 卓話

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