2018年1月26日 卓話:藤田 幸一 会員

「戦争の時代と戦後に生きて」

私と家内の父は明治生まれで父は子供の時に祖父が事業に失敗し大変苦労し、姉から貰ったカメラから写真の道へ進む。家内の父は四国徳島から大阪で成功を目指し、お菓子屋さんに勤める。二人共苦労の末、写真館、菓子問屋として独立した。二人共戦争で全てを失った。母は四国愛媛県新居浜生まれ開放的な性格で懐の深い世話好きな人だった。父は本当の写真の職人でした。家内の母は船場商人に教えられた人で104歳で亡くなるまで一生着物でとうした人だった。死ぬまで水のラッパ飲みをしなかった。戦争中の思い出、出征兵士の見送り、千人針、大阪大空襲、城北川、大坂城周辺、大阪駅周辺、御堂筋、なんば一帯の大空襲、四国新居浜、京都嵐山への疎開、B29からのビラ、敗戦、戦後の闇市、その千林商店街からダイエーが生まれる。教育、先生の激変、生活苦、食糧難、身を売る女性たちの事、家内も私もおじさんが戦死しています。復興の始まり、両家の商売の復興、戦後社会団塊世代、家内の実家の菓子問屋、百貨店卸中心で復興、S30年頃まで船場のしきたりが生きていた。私の父は新森で写真館復興、両家とも順調に発展。妹はフランス留学後石油商社員と結婚、ロンドンに永住し、子供はイギリス人と結婚し子供も生まれる。母は私の仲人がお坊さんでブラジルサンパウロでお寺の住職として赴任した関係で一人で着物で、ロス、NY,サンパウロまで旅行し就任式に出席し、そのままフランスに渡り娘の結婚式を見届けて1年後に帰国。当時では珍しい人でした。大阪万博ではブラジルから万博を見る人で家はホテルのようでした。私の写真人生は、大学卒業後ふとした縁で元朝日新聞の写真出版部長にいろいろ指導を受けるチャンスに恵まれた。また若い写真館の人たちとヨーロッパに撮影によく行きネガを業者に預けお金にし、又撮影に出ることで腕を磨いた。30歳頃からアメリカの写真協会に属し年3回ぐらいアメリカの都市をめぐりアメリカの写真家との交流と勉強をしてきた。ラスベガスで年1回写真関係のコンベンションが開かれ毎年楽しみにしています。写真業界の今事業承継の問題は深刻です。高齢化し子供が後を継がない、後継ぎがいないが原因、需要が低迷して廃業も多い。週刊ダイヤモンド1月27日号によれば、2025年に中小企業の大廃業時代を迎える。予備軍127万社、継承未定が3社に1社と言われています。幸いなことに長男長女が頑張っています。オリンピック後が大変心配です。
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# by osakajotorc | 2018-02-06 12:24 | 卓話