2014年7月11日 会員 杉野政史

「アイサーブ 私の出前授業」 杉野政史


先月6月6日(金)森之宮小学校において6年生(22名)を対象に、出前授業を行いました。昨年度の職業奉仕委員会の事業としての実践となりました。テーマは「橋の塗装について」。プレゼンテーションですから、何かプレゼントを持って帰って頂こうと、そのプレゼントの箱を開けてもらった瞬間のその笑顔を想像し構成を考えてみました。小学校6年生ですから、目標・夢を創造してもらおうと考えました。有名スポーツ選手が6年生の時に書いた「私の夢」と言う題の作文が2つ有りましたので、使いました。掴みも大切かと、クイズ形式で二つの問題を出す形をとりました。一人目の作文をプロジェクターで見てもらい答えを求めます。そして、私の6年生の時の夢、その時の両親との会話、もう少し深く話せば良かった後悔の話。だから、みんなもお父さんお母さん、そして友達と大いに話して下さいと括りました。私の現状の職場状況を、市街地から地方の風景から紹介をしました。ひとつ、インフラ整備の塗装の話をした中で、旧の国鉄・JRの駅舎の塗装をした時は妙に、女の子が盛り上がりませていると感じました。ここで、二人目のスポーツ選手の作文をクイズ形式で出題をします。答えは見事に全員正解。やはり、有名選手は、人生の成功者は、志を持ち、夢・目的を持ち目標を明確に持つよねと、意識を向けさせます。最後に、私の仕事の歴史観と現在の状況をプロジェクターを使い説明をしました。塗装前から塗装後への変化をする画像から“感歎”が沸いたときは嬉しかったです。それでは、短縮ですが、授業を始めさせて頂きます。クイズです。小学校6年生男子の書いた作文です。作者名を当てて下さい。「ぼくの夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるためには練習が必要です。(中略)そしてぼくが一流の選手になったら、お世話になった人に招待状を配って応援してもらうのも「夢」のひとつです。とにかく1番大きな夢は、プロ野球選手になることです。」皆さんわかりましたか?正解は、現在大リーガーとしてニューヨークヤンキースで活躍をしています、鈴木イチロー選手が小学校6年生の時に書いた作文です。凄いな~、やっぱり夢は、人生の目的はその目的を達成する為の目標は創らなければいけないと、感じられた皆さんも多いのではないでしょうか。ここで、自己紹介をしました。私は、大阪城東RC会員であります杉野政史と申します。職業は、城東区中浜にて塗装工事会社を経営しています。冒頭にイチロー選手の子供の時の作文を紹介させて頂きました。私の子供の頃を振り返り、あの頃は何を思い夢見たのか、友達と将来、何になろうかなんて話をしていたのか色々と回想をしました。私が6年生の頃の夢は、野球選手、機械技師、電気技術士、ボクシング黄金時代でしたから大場政男のようなプロボクサー、正義の味方になる等と、恥ずかしながらも話をした記憶があります。父親には将来の夢等なかなか話す機会は持たなかったのですが、母親に大人ってどんな人か?と尋ねますと、難しい質問だね。母も私の年頃に考えた事があるよと、言ってくれました。年を経たから大人ではないし、仕事をしているから大人って訳でもありません。より良い未来を次の世代に手渡したい。そう今を大切に生きている人を、大人と言うのです。人間は誰もが役割を持って生れてくるんだ。もちろんあなたも、お母さんも。そしてお父さんも。働くってどんな事だと思う?お母さんはね、たくさんの人に喜んでもらう事だと思っています。人間の生まれてきた役割は、喜ばれると言う事ではないかな?あなたも、いつか年を経て働くようになる。それは、喜びの輪をもっと広く、拡げる事じゃないかな。それは人間にしかできない事。そして人間にとって一番幸せな事だと思います。たくさんの人に喜んでもらう人生。その方法として仕事があるのです。最後にあなたはね、母の言葉に冗談も入っていますが、あなたはね、「親孝行する為に生まれてきたんやから」と結ばれました。
そんなこんなで、皆さんはどう思われ、どう考えますか?そんな、私が小中高校、大学と経て社会人1年生より今現在に至るまで同じ仕事をしております。今の私達の会社が主に行っている仕事とは、「土木施工管理技術士」の資格を取得した現場監督さんが、現場で働く職人さんと力を合わせて、交通機関の橋梁、橋、河川、川のダム。鉄でできた構造物、そして古くなったコンクリートの保護塗装工事を行っています。街の画像を見ながら説明を致します。(中略)今のJRは昭和62年に国鉄よりJRに改名をされました。当時の駅舎は灰色一色で、どうも、国鉄のイメージは灰色で暗いなってよく言われていました。環状線をもっと明るくしようと、当時キャンペーンがあり、そこで、ここ森ノ宮駅のイメージは何色でしょうか?そう、森の色ですから緑色。桜ノ宮駅は?わかりましたね、ピンク色。桜の色で桃色。天満駅は夜空の天空をイメージした、藍色。この駅はわかりますか?玉造駅は太古の昔、青銅、まが玉とかの玉を造っていました。さて、何色に塗られたでしょうか?女の子の反応は早かったですね。大きな声では答えなくて結構です。ピーですからの問いかけに、クスクスと笑みを浮かべてくれました。さすがに金色は高価な色でしたので使いませんでしたが。私達人間は、横着で怠け者な性格をいっぱい持っています。それではダメだなと思います。人生の目的、目標を見つけ、気づき、行動したものが幸せな人生を掴めるものと信じています。ここで、第2問目の問題です。小学校6年生の男子が書いた作文です。作者を当ててください。「僕の夢・・僕は大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。(中略)いいパスをだし合って得点を入れることが僕の夢です。」勿論皆さんわかりますね?セリエA ACミラン本田圭佑です。「志を持て、そして気力を養え。 ただしそれだけでは学者にすぎない。徹底して、旺盛な行動力を 持って行動せよ。」・・・吉田松陰の言葉です。(吉田松陰とは武士・明治維新の指導者です)最後に、私の先輩より譲り受けた塗装、塗装の歴史について、画像よりご紹介をします。鉄の塗装の職人の発祥は静岡県蒲原群由比町、現在の静岡県静岡市清水にあたります。私の父が現場監督をした、東京タワー塗装工事の現場状況をご覧下さい。「「塗装のおはなし」(橋を守っています)静岡県蒲原町は、塗装の世界ではちょっと
知られた町である。明治末期以降、橋梁や鉄塔の塗装を専門とする「鋼橋塗装」の職人を数多く輩出してきたのだ。山が海に迫る地形で、狭い田畑しか持たないこの町では、長男以外の男たちは、刷毛1本を手に全国の建設現場を渡り歩くのが常だった。「東京タワー」の塗装を最初に行ったのは「蒲原の職人」である。「俺が外枠をやる。お前は避雷針を塗りに行けや!」タワーの塗装作業が最終段階に入った昭和33年秋。地上250Mの展望台の上で、当時32歳だった鈴木賢治は配下の職人に挑むように言った。展望台の外枠部分は、上部がせり出した逆台形。頭上に覆いかぶさる鉄柵にぶら下がって作業をする形となり、垂直に立つ避雷針を塗るよりはるかに難しい。最難関のポイントだ!命綱一本での作業。職人の大半は鈴木さんと同じ蒲原町出身。喧嘩早いが肝っ玉の据わった蒲原職人は、責任者の度量と器量を見て仕事をする。「ここは、俺がやらないと、下の者が付いてこない」と鈴木は感じていた。刷毛を手に展望台の端に立つと、一歩先には空が広がり、その下にはミニチュワの様な家々が見えた。冷たい風に吹かれているのに、全身からドッと汗がにじみ出る。鈴木は正直に明かす。「俺らは鳶とは違う。本当は高い所は怖いんだ」それでもやり遂げたのは、蒲原職人たちの負けん気の強さと結束のなせる業だったのかも知れない。「地元では近所もみんな塗装職人」「下手な仕事はできないぞ!」「いいかっこしたいからな!」って思いがあるからな・・鈴木は笑う。」
貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
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by osakajotorc | 2014-08-28 15:49 | 卓話

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